どうも、得する情報をお届けするmoririkuです。
MLBの公式サイト
「Ichiro to announce retirement today」(イチローが今日引退発表へ)
そんな日は来ない、そんな気がしていたが今日2019年3月21日愛知県出身のヒーロー、イチロー選手が「第一線を退く」という情報が入った。

とても悲しい、けど感謝の意を表します
本記事では、先ほど始まった会見の様子をご紹介したいと思います。
会見は?
東京ドーム近くの会場で2019年3月21日23時50分現在、TBS NEWS23で「まもなく会見」と中継のの準備をしていましたが、24時少し前に会見がスタートしました。
イチロー引退会見の様子
2019年3月21日24時少し前より会見が始まりました。
冒頭で記者の数が多い事にびっくりしたイチローでしたが、真剣なまなざしで引退を表明し、このユニフォームで引退を表明出来ることを誇りに思いますとコメントした。
28年を振り返るには、あまりにも長い時間なので、応援して頂いた方への感謝を述べた。
その後、記者たちへ質疑応答タイムが始まった。
記者「現役生活に終止符を打つことに決めたタイミング、理由は?」
イチロー「引退を決めたタイミングはキャンプ中。契約上、今回日本でプレーすることが決まっていたこと、キャンプでも調子が出ず今回の試合も結果が残せなかった。」
記者「後悔は?」
イチロー「後悔などない!結果を残すためにこれまでたくさんの努力してきた。」
記者「子供たちへメッセージを」
イチロー「野球だけのメッセージだけではないですが、自分が夢中になれるものを早く見つけてほしい。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていけると思います。夢中になれるものが見つからないと、立ちはだかる壁に向かっていけない。」
記者「現役28年は長かったといわれますが、一番印象深いシーンは?」
イチロー「今日が一番だと思いますが、今日を除くと色々な記録を作りましたが自分にとっては大したことではなかった。先輩が作ってきた記録を僕ら後輩が抜いていくことはしなくてはいけないことではあるが、そのこと自体には大きな意味はない。去年の5月からシーズン最後までの日々は、他のどんな記録よりも誇りを生んだ出来事だった」
記者「たくさんのファンに支えられたが、エイミーフランツさんなど、ファンの存在は?」
イチロー「内側に持っている熱量、その表現にびっくりした。自分のためにプレーすることがチームのためにもなると考えていたがヤンキースに行ったあとから人に喜んでもらえることが、一番になった。そこからファンの存在なしには自分のエネルギーが生まれない状態となった。」
記者「貫いたもの、貫けたものは何ですか?」
イチロー「野球のことを愛したことです。プロの最初のころは1軍、2軍をウロウロしていたがその時代は楽しかった。その後番付が上げられて力以上の評価をされて、やりがい達成感はたくさんあったが、楽しいのとは違った。そこでこれから将来は楽しい野球がやりたいと思った。」
記者「開幕戦を大きなギフトと言われましたが、私たちにとってギフトでした。今後、私たちへのギフトはありますでしょうか?」
イチロー「ギフトなんてありませんよ(笑)」
記者「今後はゆっくりしますか?」
イチロー「ゆっくりしたいなどは全然ありません。動き回っていると思います。」
記者「イチロー選手は日本人の誇りですが、ファンの皆に伝えられていたら良いなと思うことがありますか?」
イチロー「人より頑張ることは出来ない、あくまで自分の中の測りで自分の限界をみながら少しずつ自分を超えていく。一気にいこうとすると続けられないと考えているので地道に一進一退を繰り返しながら自分を信じてやっていく。ただそれが正解かどうかはわからないが、遠回りすることでしか本当の自分に出会えないと考えている。そうしてきたことで今日の試合後のファンの皆さんとの出来事があったと思います」
記者「現役を終えたら、監督や指導者になる、あるいはタレントになるなど道はたくさんありますが、イチロー選手は?」
イチロー「カタカナのイチローは、どうなるんですか?元イチローですか(笑)?。何になる…監督は絶対無理です、絶対。人望がない!プロというよりアマチュアとプロの壁が特殊の形で存在している。自分に子供がいても高校生だと教えられない、などのルールがあって変だと思っている。今日をもって元イチローになるので、小さい子供なのか高校生なのかわからないが、そこには興味があります」
記者「引退を決めた時期はキャンプの時だったが、それ以前にも悩んだ時期はありましたか?」
イチロー「ニューヨークへ移ってからは引退というよりクビになるのでは?と毎日思っていた。なので、しょっちゅう悩んでいました。」
記者「では、今回なぜ引退を決定されましたか?」
イチロー「マリナーズ以外には行く気がなかったんです。昨年戻してもらえたことは大変嬉しかった。」
記者「菊池選手が号泣していましたが、抱擁されていたシーンではどんな言葉を話しましたか?」
イチロー「個人の会話なので秘密です。菊池選手から言われるのは良いが僕からは言えないです」
記者「アメリカのファンへのメッセージは?」
イチロー「アメリカのファンは厳しかった。2001年のキャンプは日本へ帰れとしょっちゅう言われましたが、結果を残した後の敬意の示し方は迫力が強いなと感じた。認めてもらった後は関係が近くなる、特にシアトルのファンとはそれが出来たと自分では思っている。ニューヨークは厳しい場所だった。マイアミもラテンの文化が強かった。それぞれの場所でそれぞれの特徴の関係性が築けたと思っている。」
記者「イチロー選手のユニークなTシャツ(もう限界…など)には意味があるんですか?」
イチロー「それを言うと野暮ったくなるので、見る側がどう感じるかだと思います。理由を言ってしまうと無粋になってしまうことは間違いない」
記者「ゆみこ夫人がイチロー選手を支えたと思いますが、夫人へのメッセージは?」
イチロー「一番頑張ってくれたと思います。アメリカで3089本のヒットを打ちました。ホームゲーム前は球場で妻のおにぎりを食べていたが、その数は2800個だった。妻は3000個作りたかったそうで、そこは握らせてあげたかったなと思います。今後、僕はゆっくりしませんが妻はゆっくりしてほしい。イッキュウ(愛犬)今年で18歳になりますが、さすがにおじいさんでふらふらですが懸命に生きていて、その姿を見ていたら、頑張らなきゃなと思いました。まさか現役を終えるまで一緒に居られるとは思っていなかった。」
記者「打席の中の感覚に変化はあったのですか?」
イチロー「今それはいる?また裏で話そう」
記者「これまで考え抜いて決断したことは?」
イチロー「これは順番つけられません。それぞれが一番です。」
記者「これまで我慢したことは何だったのでしょうか」
イチロー「自分のやりたいことをしているので、我慢している感覚はないです。身体を動かすことが好きなので、身体を動かさない方が良いと言われた時は我慢しました。家では妻が料理を作ってくれますが、外に出るとなんでも良いので無茶苦茶です、我慢できないので。なので選手生活での我慢という意味ではあまり見当たらないです」
記者「台湾の記者です。台湾の人に伝えたいことは?」
イチロー「チェンが元気か知りたいです。台湾にも一度行ったことがあり、優しい印象です。」
記者「イチロー選手が、後輩たちへ残したい、たくしたいものはありますか?」
イチロー「菊池選手のデビュー日に引退を迎えたことは良いなと思っています。ちゃんとやれよ、という思いです。」
記者「野球の魅力は?イチロー選手のいない今後の野球の見どころは?」
イチロー「野球の魅力は団体競技だけど個人競技であること。チームが勝っても個人でも結果を残さないと生きていけないこと。今後の野球の楽しみ方は、2001年に渡米した時と比べるとかなり変わりました。最近頭を使わなくても出来てしまう野球になってきていることに危機感を持っている人は多いと思う。アメリカの野球のこの流れは変わらないので、日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしい。」
以上、2019年3月22日 1時頃までの会見の様子でした。
イチローの引退を受けて
2019年3月21日東京ドームの試合後、イチロー選手の引退表明を受けて会場の観客、チームメートともに大声援を送っていました。
最後に一安打、打ってほしい!イチローの最終打席の表情は見ているこちらにも気迫が伝わり、感動的でした。
マリナーズからの発表でイチローのコメントは「私は野球人生で多くの夢を達成しました。シアトルで始めた野球人生をシアトルで終わらせることが出来て誇りに思います」とのことです。
やはり、イチロー選手はすごいですね。言葉にオリジナル性もあるし、軸がある。
今後のイチロー選手の活躍に期待したいです。何になるのでしょう。また新たな情報があればお伝えしていきたいです。
イチロー選手の紹介
不要かもしれませんが、簡単にイチロー選手の紹介をしておきます。
所属:マリナーズ
本名:鈴木一朗
年齢:45歳
背番号:51番
日米通算4367安打
イチロー
高校時代は愛知県の名門、愛工大名電で甲子園に出場。しかし初戦敗退。高校卒業後は地元の中日に入団を希望するもスカウトから声がかからず、オリックスへ入団。2000年オフにポスティングシステムでオリックスからマリナーズ入り。1年目にア・リーグMVP、新人王、首位打者、盗塁王に輝き、2004年には大リーグ記録を更新する年間262安打を放った。2012年途中にヤンキースへ移籍し、15-18年はマーリンズに所属。18年にマリナーズへ復帰。
タイトル(Wikipediaより引用)
- NPB
- 首位打者:7回 (1994年 – 2000年)
- 打点王:1回 (1995年)
- 盗塁王:1回 (1995年)※打点王・盗塁王の同時獲得、最高出塁率・盗塁王の同時獲得いずれもNPB史上初
- 最多安打:5回 (1994年 – 1998年)
- 最高出塁率:5回 (1994年 – 1996年、1999年 – 2000年)
- MLB
- 首位打者:2回(2001年、2004年)
- 盗塁王:1回(2001年)※首位打者との同時獲得は1949年ジャッキー・ロビンソン以来52年ぶり